投稿日:2017年2月28日  更新日:

わたしを見つける

“わたし”というものを見つけると。
”あなた”との違いを理解できるようになります。

すると今度は、“わたし”が、他の誰とも似てないことに気付きます。
初めは、そのことを面白いと思いますが、すぐに不安を覚えるようになります。

“わたし”は”わたし”の全ての責任を持たなくてはいけない。
そう不安に感じることが多くなります。

すると”わたし”は、“わたし”でいることが辛くなってきます。恐怖に感じます。
“わたし”ではなく、“わたしたち”になりたいと思うようになります。
“わたし”でいるよりも、”わたしたち”でいたほうが楽だと気付くからです。

“わたしたち”でいれば、”あなた” がいないので「違い」がありません。
“わたしたち”でいれば、”わたし”がいないので「責任」がありません。

“わたしたち”は、みんな同じなので、とても楽で、便利なのです。

しかし今度は、”わたしたち”でいるせいで困ったことが起こります。
何故ならば、“わたしたち”は、“わたし”の集合体でしかなく、やはり、それぞれみんなに責任があるからです。
そして、そのことに気付くのは、大きな問題が発生した後になります。

大きな問題が発生した後に痛感するのです。
「何故、あの時、”わたし”は”わたし”のすべきことをしなかったのか。」

これが、今の日本が陥っている状態だと思います。
そして、そのツケは、子孫へと脈々と受け継がれているのです。

“わたし”は”わたし”の全ての責任を持たなくてはいけない。
これは、どうしても逃げることのできない現実なのです。
そこから逃げることをアドラー心理学では「自分の人生を生きていない」と表現しています。