投稿日:2017年2月28日  更新日:

レトリカル・クエスチョン

「レトリカル・クエスチョン(修辞疑問文)」というものがあります。
「質問の形をしているけれど、実は答えを求めているわけではない質問」のことです。

少し分かりづらいので、例を見てみましょう。
質問「何でこうなったの?」  →本音「普通はこうはならない」
質問「終わった?」      →本音「まだ終わらないのか」
質問「帰るの?」       →本音「帰るな」

レトリカル・クエスチョンは、質問の形式をとっています。
そのため相手の回答次第では、(納得した場合は)当初とは違う結論にたどり着けることはあります。

しかし、納得がいかない回答の場合、当初想定していた通りの結論(本音)にたどり着きます。
つまり、レトリカル・クエスチョンとは「オブラートに包んだ嫌味」なのです。

言葉巧みにレトリカル・クエスチョンを繰り返す人は、その言葉巧みさ故に、質問した相手を追い詰めることになるでしょう。
追い詰めつつ、嫌味を言う。
しかし、追い詰められた人にとっては、オブラートはあってないようなものなのです。
なので、コミュニケーションを円滑にしたい場合、レトリカル・クエスチョンは極力使わないほうが良いでしょう。

もちろん、実例のような質問を、嫌味ではなく、そのままの意味ですることもあると思います。
にも関わらず、レトリカル・クエスチョンだと思われることもあります。

これまで、まったく嫌みもなく相手に質問しているのに、怒ってくる人に何人か会いました。
これはつまり、劣等感に支配されてしまっているのです。

こういった場合には、
レトリカル・クエスチョンというものがあることを伝え、
そして、私はレトリカル・クエスチョンを絶対に使わないことを宣言します。
つまり、相手と知識を共有し、考え方を更新してもらう。
これだけで、見事に話し合いが成功するのです。

レトリカル・クエスチョンは、コミュニケーションを劣化させます。
この例を見る限り、劣等感もコミュニケーションを劣化させます。
出来るかぎり使わないようにしましょう。