差別が起きないように「差別禁止」というルールを作るとする。
「差別禁止」なのだから、「差別」とは何かを規定しなくてはならない。
すると、「差別禁止」の枠組みから外れたものは、差別してよいことになってしまう。
例えば、「同性愛者を中傷することを禁止」すれば「両性愛者への中傷」は問題ないように取られてしまう。
それはまずいと、「両性愛者を中傷することを禁止」すればいいと思うのだが、今度は「無性愛者への中傷」が起こりうる。
つまり、例外規定を際限なく続ける必要があるのだけれど。
そのすべてを実現するのに、どれほどの時間がかかってしまうのかということになる。
その間、差別は存在したままだ。
すべてを知るまでに多くの時間がかかってしまう。
しかし、この問題を一発で解決する言葉がある。
それが「多様性」だ。
「いろんな人がいる」という考え方を持つことができれば、それでいい。
しかし、その考えを持つのは、これまた難しい。
差別は、弱さの表れだ。
「普通」ではないと思う人を攻撃している。
言い換えれば、自分は「普通」であると思い込んでいる。
大衆にまぎれ、仲間外れを作ることで自分を保っている。
だからこそ、差別をなくすには、独りぼっちになる勇気が必要となる。
あなたは差別をしない人生を歩めますか。
独りぼっちになる勇気がありますか。